マックスバリュ熱海店の入口ではいつもなにかしらの小規模な催事が行われているが、月一くらいで辻売りしているたこ焼きはもはやテロ認定すべき代物だ。夕飯の買い出しという任務を一瞬で忘れさせる、ソースの焼けるあの凶暴な匂い。艶めかしく踊り狂う鰹節の匂い。一切の無駄と迷いを排した職人のリズミカルな針捌きによって、ゆるい未完成のたこ焼が完璧な球体となって一糸乱れず鎮座する姿は、息をのんで凝視せずにはいられない。
食いてぇー!と無言の雄叫びをあげながら空きっ腹をおさえ、こんな罠に引っ掛かってはならぬと自らを戒めそそくさエレベーターに小走る。
買い物を終え、帰り際はもうわかりきったトラップを毅然としてスルーする胆力はついた。なので、まだ一度も買い食いしてない。
だが一昨日は、マスクを突き破る強烈なたこ焼きの攻撃に触発され、小さなタコを衝動買いしてしまった。岩手の小さな足2本。タコ飯にするには少なすぎる。唐揚げにするには細すぎる。
コロナ前のことだが、毎年11月は「ボジョレーを飲まない会」を我が家で主催していた。もともとは「ボジョレーを飲む会」だったんだが、ボジョレーばかり飲んでいると翌日は使いものにならないことがみな身に染みてわかったので、好きなワインを持ち寄る方式となったのだ。メンツの一人、生粋の大阪人Hが「たこパやりたい」と言い出したのもその集まりでのことだ。
関西出身の両親をもつ自分の実家には鉄製のたこ焼き器があったので、あまり深く考えずに承諾したのが間違いだった。
本場のたこ焼きを喰わせてやると鼻息の荒いHは、盛大に天かすをまきながらたこ焼きを焼いた。まるで節分の豆まきのようだった。アルコールでギアを上げた彼は、さらに必要以上の天かすを振りまいた。花咲か爺さんならぬ、天かす爺さんだ。
翌朝、床に散らばった天かすを見た家人は「二度とたこ焼きなんぞやらん」と怒り心頭で床を執拗に拭きまくっていた。とはいえ、Hの名誉のために口を添えるとすれば、彼のつくるたこ焼きは確かに旨かった。それと同時に「家じゃ、やらせてもらえへんねん」の意味もよくわかった。広尾の高級マンションでやれば奥方もいい顔をしないだろう。
そもそもたこ焼きよりお好み焼き派である家人のたこ焼きに対する印象は、あの天かす事件以降、すこぶる悪いものになってしまった。いまや手元にたこ焼き器もないのだが、こちとらすっかりたこ焼きの気運高まっている。
ジャガイモを柔らかく茹で、裏漉しする。それにタピオカ粉をちょっと入れてさっくり混ぜ合わせ、タコと紅生姜を射込んで丸めたら、160度で揚げる。おたふくソースとマヨをたっぷり、青海苔を散らせばジャガたこ焼きの完成だ。
熱々の球体からとろり流れるなめらかなジャガイモ、そこから飛び出るタコ。思いの外、たこ焼きだった。というかたこ焼き欲求はかなり満たされたといっていい。かりそめのタコ焼きとしては合格点だ。
「おっ、これはこれは、たこ焼してるねぇ」ちゃかしながらも楽しそうに食べている家人には意表を突かれた。粉モノでない時点で、Hから「そんなんたこ焼きちゃうで」と痛烈な突っ込みが入りそうだが、床も汚れず、これはこれで家庭円満のたこ焼きとなった。
追記。
後日おでんの具としてこのたこ焼きを再登板させたが、出汁にひたったたこ焼きは見事に明石焼きとなりまして。溶けやすいので、さっと温めるくらいで十分。