最後の晩餐で何を食べたいか。数十年前から答えは変わっていない。玉子だ。調理法は問わず、玉子ほど多才な食材はないし、あらゆる点で完全食である。なかでもだし巻き玉子は、世界中あまたの玉子料理のなかでも異質な存在だ。調理は家庭料理とは言えないほど複雑だし、そもそも四角い鍋など他でお目にかかれない。それがおよそ各家庭に一台あるというのだから、日本人の玉子焼きに対するこだわりは執念に近いものを感じる。
- 安物の代償
- 玉子焼き鍋を買い替える
- プロが教えてくれただし巻き玉子のコツ
- 銅製の玉子焼き鍋でだし巻き玉子をつくる
- 玉子焼き鍋の焦げをすっきり落とす裏技
- 追記 2024年8月、中村銅器製作所の卵焼き器がやってきた。
安物の代償
私がかつて使っていた玉子焼き鍋は、量販店で買ったテフロンの安物である。テフロン自体にはなんの不満もなかったが、問題は、軽すぎたことだ。卵液を流し込まないとコンロの上で安定しないのだ。実際、これは恐ろしく危険な代物だった。事故は起こるべくして起こる。ついには鍋の柄が腕にひっかかり、玉子は床に飛び散った。力任せに床を拭きながら悟った。もうこの鍋は使えない。
玉子焼き鍋を買い替える
ストレスがたまる道具は道具とはいえない。反省点を踏まえ、まずはある程度の重さがある玉子焼き鍋を探した。いくつかの選択肢から浮かんできたのは銅製の鍋だ。使いこなす自信はさっぱりないが、なんだかとてつもない玉子焼きが食べられるんじゃないかという期待が指先をくすぶり今にもポチりそう。値段はピンキリだったが、いつ匙を投げるかもわからないので、ひとまずリーズナブルなものを購入する。
断言しよう。確実に「外で食べるだし巻き玉子」に変貌した。なによりも食感が別物だ。語弊があるかもしれないが、感覚的には羊羹とパンケーキほどの差がある。出汁をしっかりと貯えた玉子はみずみずしく軽やか。だがそこまでたどり着くにはそれなりの時間がかかった。
こびりつきやすい
予想はしていたものの、やはり銅製の鍋は扱いにくかった。油をしっかり馴染ませたはずが、使い始めは何度となくこびりつかせてしまう。こればかりは数をこなすしかない。ひたすらだし巻きを焼く日々が続く。そして鍋を洗剤で洗わなくてよいという利点も知った。
火加減
弱火だと羊羹のような食感になってしまう。だし巻き玉子は弱火で焼くと提唱するものもあるが、火加減は中強火を保ち、鍋を火から近づけたり離したりすることで調整するのがよいとわかった。皮肉にも思い鍋を常に左手に持つことになってしまったのだ。
出汁と玉子の割合
出汁が多すぎても玉子が巻きづらいし、少なすぎてもみずみずしさが損なわれる。ネットや本にのっているレシピを片っ端から試作してみるものの、しっくりこない日が続き、しまいには何をもってうまいだし巻きなのかもわからなくなってしまった。完全に泥沼にはまったのだ。
プロが教えてくれた
だし巻き玉子のコツ
馴染みの飲み屋ではいつもカウンターに座る。カウンターからは調理場を俯瞰できるし、板前の所作をみながら日本酒をちびちびやる時間は至福だ。泥沼にどっぷり浸かっていたある日、だし巻き玉子の話を切り出した。
僕が最初に覚えた基本のだし巻きは、玉子5個に対して出汁が八石だよ
外国文学を読んでいるとマイルやポンドといった独自の計量表記につまづき、先に進めないことがある。似たような状況に陥った。つまりは、和食のプロが使うお玉は八石(144cc)と決まっており、そのお玉に対する割合で他の調味料を計量しているということだった。ちなみに一合(180cc)の8割だから八石だ。そして玉子はSサイズ、46〜52g未満のものを取り寄せるという。
次の日、玉子3個で試してみる。計算上では玉子1個に対して出汁は28.8cc、3個だと86.4ccとなる。中途半端な数字なので、丸めて90ccとした。だいぶ腰のない卵液に動揺したが、理想のだし巻き玉子に仕上がった。
よくよく考えたら、茶碗蒸しは玉子の4倍の出汁でも固まってくれるではないか。玉子焼き鍋に卵液を入れると、ジューっという音とともに、出汁が蒸発しているのが分かる。その熱い水蒸気で玉子にふんわりと火がはいるのだとすれば、だし巻きとは一種の蒸し料理と言ってもいいのかもしれない。
そしてもうひとつ教えてくれた。
玉子と出汁を混ぜたらしばらくそのままおいて、馴染ませるといいよ
かき混ぜてすぐに焼くのではなく、時間をおいたほうが卵液に一体感がでるというのだ。店ではあらかじめつくりおきしている。
銅製の玉子焼き鍋でだし巻き玉子をつくる
材料
玉子 | 3個 | Mサイズを使用 |
出汁 | 90CC | 鰹と昆布でとった出汁を使っているが、アゴ出汁もなかなか |
薄口醤油 | 小さじ1 | |
塩 | ひとつまみ |
※出汁をとる時間がないときの裏技として、水に昆布茶を匙1杯入れる場合もある。
※サンドイッチや弁当にいれる場合は、水溶き片栗粉を小さじ1杯入れることで、出汁の流出が抑えられる。味重視ならいれないほうがいい。
つくりかた
- ボウルに玉子を割り入れ、白身を切るように菜箸でかき混ぜる。
- 出汁、調味料も入れてかき混ぜる。味見をして塩っ気をはほとんど感じないくらいでいい。
- 卵液を網で漉すとムラができずに仕上がりが美しい。
- キッチンペーパーと油を入れる容器を準備する。
- 玉子焼き鍋はしっかり熱して多めの油を入れ馴染ませる。油をいったん容器に移し、冷ましてから改めて油をしいて中強火にする。箸の先につけた卵液を鍋肌につけ、玉子がさっと白くなれば適温。
- 煙が出る手前で鍋を火から離し、お玉一杯の卵液を流し込む。手首を大きく動かして、卵液を玉子焼き鍋全体にいき渡らせる。火は中強火を保ち、火加減は火から近づけたり離したりをくり返して調節する。
- 玉子が半熟状態になったら端から巻いていく。奥からでも手前からでも、やりやすい方法でいい。私は奥からの大阪巻派だ。このとき鍋を火から離しておけば、落ち着いて巻くことができる。
- 手前まで玉子が巻けたら、卵焼き鍋のあいたところにキッチンペーパーで油をひき直し、玉子を奥へ滑らせる。手前のあいたところも油を塗る。
- 卵液を流し込む。奥にある巻いた玉子焼きを箸で持ち上げ、その下にも卵液を流し入れる。ぷくぷくと玉子が膨らんできたら菜箸で潰し、半熟になったらまた巻く。
- ⑧と⑨を、卵液がなくなるまでくり返す。
- 巻きすにとって軽く巻き、形を整えたら適当な大きさに切って、大根おろしなど薬味を添える。
玉子焼き鍋の焦げをすっきり落とす裏技
長いこと洗剤を使わずに使っていたせいか、黒ずんでしまった玉子焼き鍋。一度、金たわしで軽く洗ってしまったのが最悪だった。たしかにきれいにはなったものの、美しい鍋底が傷ついてしまったのだ。まさに傷心とはこういうことかと心で泣いた。
そのまま使っても問題はなかったので、まぁ日々使う道具だから仕方がないと諦めていたところ、
「玉子焼き鍋が焦げついてしまったら、たっぷりの油に大根の皮を入れて火にかけて、皮でゆっくりこするときれいにとれるよ」という年長者の教え。
コツとしては、玉子焼き鍋の角にも大根の皮があたるように、四角く切っておくことくらいで、皮がすっかり焦げるくらいになると焦げがすっかりとれていた。大根の皮のなにかしらの酵素が働いているものと思われるが、もっと早くに知っておけば! と思わずにはいられない。