その昔、すき焼きは家で食べるご馳走で、家族がそろったときに鍋を囲むのが当然の行事だった。鉄鍋に母は砂糖と醤油と酒を手早く加え、ひと舐めしては「ちょっと甘さが・・・」と呟きまた砂糖をがさっと入れる。思えば、実家のすき焼きはかなり甘ったるく、食べていくうちに飽きてくるというか、疲れてしまうことがあった。また味覚が未熟な私は生卵にも抵抗があったからそのまま口に入れることになり、とにかく味が濃い。なので野菜や白滝ばかり食べていたもんだ。
すき焼きを外で食べたのは、社会人になってからだ。来日した友人が「日本のすき焼き食べたいです」というから、浅草の今半へ連れて行くことになったのだ。目の前に出された膳は家のそれとはまったく違い、「これが本物のすき焼きなのか!」と外国人以上に感動したのである。まず、割り下という概念がなかった。肉と野菜を一緒くたに煮るワイルドスタイルではなく、肉の味、野菜の味をそれぞれ楽しむやり方が、当時の私には粋っぽく見えたし、やっとすき焼きの美味しさがわかっったような気がした。
今までのすき焼き人生はなんだったんだと母に尋ねてみても「外は外、うちはうち」と興味を示してくれない。そこで祖母とその友人を招いて鍋を囲むときは「本当のすき焼きはこうなんだよ!」とお節介にも鍋奉行を買ってでたうえ、褒めてくれるもんだから鼻高々になっていたのである。思い出すとかなり恥ずかしい。
すき焼きに関東風と関西風というものがあると知ったのはそれから何年もたってからだ。私以外の家族は全員関西生まれ。だからやり方が違っていて当然だったわけで、すき焼きってものは家のやり方をつくっていけばいいんだと、不惑を過ぎて思うところである。
さて、すき焼きは家人の大好物なので、食卓によくあがるようになった。初めて鍋を囲むときはまず、話し合いが行われた。片や神奈川県出身、片やは東京出身だけれど流れる血と味付けは関西人である。
割り下はつくるのか、甘いのが好きか、具はなにか、などなど理想のすき焼き論を持ち出し、今では割り下ありのスタイルに落ち着いた。割り下をつくっておくと、味が安定するし、誰でも鍋奉行ができるから、ゆっくりと肉を楽しめる。
すき焼きの割り下
酒:砂糖:みりん:醤油の割合は1:2:3:4。砂糖はきび砂糖、もしくはザラメを使っている。たとえば60ccのカップを使うと、以下のような分量になる。保存する瓶の総量になればよいので、計量カップがなくても茶碗やお玉で十分だ。
酒 | 砂糖 | みりん | 醤油 |
60cc | 120cc | 180cc | 240cc |
まずは日本酒とみりんを鍋に入れて、点火。
沸いてきたら液体に直接、チャッカマンなどで火をつけて、ガスは切って、ひたすらお玉でかき混ぜながらアルコールを飛ばす。このお玉使いが煮きりの極意。最初は炎があがって腰がひけてしまうが、次第に炎は小さくなっていく。自然に鎮火すれば、きっちり煮切れた証拠。
煮きった酒とみりんに砂糖と醤油を加え、砂糖が溶けたら火を止める。
常温になったら瓶につめて、冷蔵庫で一日寝かせるのが理想だ。
我が家のすき焼きの流儀
すき焼きというのは、最初の一枚がいちばんうまい。というのも、二枚目からはどうしたって、香ばしい焦げ目がつかず、つまりはすき煮になってしまう。だから食べる順番は、その日1番の功労者とか、お客さんとか、年長者とかに「どうぞお召し上がりください」という気持ちをもって先陣を切ってもらう。蛇足ながら、我が家の流儀を書いておこう。
まずは取り皿に生卵をといておく。これ、当然のことすぎて忘れがち。肉を焼いてから焦ることになることもしばしば。
熱した鉄鍋に牛脂を塗る。鍋が熱すぎても冷たすぎてもいけない。
肉を広げて鍋に寝かしたところで、すかさず肉にめがけて割り下を垂らす。
割り下が蒸発する勢いで肉がぷっくり膨れて踊ったら、裏がえして、割り下を纏わせる。
肉の色が変わりつつある頃合いでいただく。
割り下を垂らしてからはあっという間なので、一人は肉焼きに集中し、もう一人は割り下を垂らす役目を担うことになる。だから、息のあった連携プレーが求められる。「よし! いけ!」という号令とともに肉が焼け、まずは一人食べ、感想を述べる。このやり方だと、食べるのも順番なのだ。
各々が肉を楽しんだのちに、野菜の部へと移る。
野菜は、白菜、白滝、豆腐、キノコ類が定番だけれど、一押しはクレソン。生でも食べられるから、肉と一緒にさっと焼いて巻いて食べる。
「もう食えない」と双方が参ったするまで肉の部と野菜の部をひたすら繰り返すわけだが、困ってしまうのは、ここ最近は二巡目くらいで胃が膨れてしまうことだ。せっかく理想のすき焼きにたどり着いた頃には、胃が衰えてきているってのも皮肉なもんだ。