全国的に寒波がくるというニュースをききつけ、薄切りの羊を買っておいた。築90年を迎える我が家はとにかく寒い。ここは火鍋で乗り越えようという目論みだ。
懐疑的だった業務スーパーの火鍋の素はかなり本格的だ。それに棗、ショウガ、ニンニクを追加している。
新入社員だった2000年代前半。火鍋にはまっていた時期があった。銀座界隈の火鍋屋に通いはじめ、それに飽き足らず家でもつくるようになり、友人と火鍋パーティを開くまでに至った。
つくりかたも難しくはない。唐辛子や花椒を脂で炒め、それに出汁とスパイス各種を放り込み、部屋中に怪しげな香りが充満したころで、スープに肉や野菜を通して食べる。
鍋の素が売られているいうことは、火鍋もすっかり定番化した証拠だろう。1月某日、熱海に偶然立ち寄ってくれた友人夫婦に馳走したところ、現場はカオスとなった。
キューブ状の火鍋の素2つに対して、湯は1リットル。鍋からもうもうと立ち上る痛い煙、スープは地獄のごとく赤くたぎっている。
「おぉ」と歓声があがったのも束の間。みな苦悶の表情を浮かべ、妙な奇声を漏らしながら肉をしゃぶしゃぶしている。鍋パーティというより、奇祭を見ているようだった。久々の再会につもる話もあるはずだが、発せられるのは「辛い」という言葉ばかりだ。
胡麻油のタレにくぐらせても辛さが和らぐことなく、最終的にはとっておいた和出汁を各自どばどば投入する有様。当然のことながら、薬味の辣油なんて誰ひとり手をつけなかった。
〆に振る舞った山かけごはんをかきこむ、皆の安堵の顔が忘れられない。結果、「おいしい山かけごはんをいただいた」という印象しか残らない会になってしまったようだ。
友人を自分の趣味に巻き込んで恐縮だが、あの遊びのない辛さ、しびれる辛さ。じんわりと開く毛穴。武者震い上等なビジュアル。これこそ理想の火鍋だ。一人火鍋の夢も近い。皆の苦闘うらはらに、内心ほくそ笑んでいたのは秘密にしておこう。
後日、スープを湯増しして、火鍋キューブ1つに対し湯800ccで食べる。家人に火鍋教育を施すのだ。
タレは練り胡麻に黒酢と醤油。これで辛さはだいぶ軽減したようで、家人の悲鳴もワントーン落ちた。パクチーをたっぷりかければすっかり火鍋の虜だ。つくづく、食い方というのは重要だと思う。
〆のラーメンはもはや担々麺ですこぶるうまいが、スープを飲み過ぎると腹がゆるくなることだけが難点だ。