起床。また正午を超えてしまった。人生にたとえるなら四十代は正午、五十代は黄昏だとある心理学者が言っていたが、なんだか意味をはき違えて実践している気がしないでもない。
家人がいれたコーヒーはすでに冷え切っていたので、温め直しにふらふら台所へ赴くと、目の前には驚愕の光景が。
シンクに洗い物が、ひとつも、ない。
夕食後は洗う気力が欠片も残ってない(というか飲酒による後遺症と見立てている)のが常なので、起きて最初の仕事は大量の洗い物だ(だから起きたくない、という説もある)。
それが、ない。狐につままれたような、は今こそ使うべき言葉だろう。
温まったコーヒーを片手にTwitterを開く。
「阿蘇山噴火。警戒レベル引き上げ」の見出しが飛び込んできた。最近地震が続いているし、先日大陸プレートと地震のメカニズムを解明する深夜番組を興味深くみてしまったから一層心がざわつく。
これは家人が気まぐれにも洗い物なんかしてしまったからなのか?という疑惑ばかりが募る。
なんせ雪が降るよりまれとおぼしき、噴火である。これは由々しきことだ。
とはいえ、光っているシンクを見れば、料理に取り掛かろうと思えるものである。食用菊やオクラなどを下ごしらえ、出汁をとり、夕飯は何にしようかと思案する。
そうだ、お勤め品のイチジクを食べてしまわないといけない。
もともとイチジクに一切興味を示さない家人だが、先日つくったイチジクの白和えは「生ハムメロンより格段にマリアージュしている」と好評を得たばかりである。
白和えといっても和え衣には豆腐でなくクリームチーズを使ってるせいか、ワインとの相性がすこぶるよい。パックに添えられていた紙きれによれば「イチジクはカリウムと食物繊維が豊富です」とある。知らなかった。これからは前のめりに摂取していきたい。
手の平サイズの火山からとろり垂れそうなマグマを齧ると、控えめながらも情熱的な香りがふんわり広がった。