コロナで在宅勤務になり、仕事部屋が必要になって品川を引き払ったのが2019年師走。横浜に腰を落ち着け、背水の陣での家探しが始まった。
当初は湘南や三浦が射程圏内だったが、世は地方移住と大河・鎌倉殿のブーム真っ只中。折り合いつかぬままどんどん南下してついに熱海までやってきてしまった。
家探しは難航し、ようやく一年後に築88年の古民家と出会い購入に踏み切ったものの、蓋をあけてみたら単なる古屋であったことが判明したときには腰が抜けた。
「民」という字が欠けただけで格式や伝統がゴッソリ抜け落ちてしまったようだ。
憧れの大正ロマンは露と消え、剥き出しのスケルトンとなった家の中で呆然と立ち尽くす我々に、次々と厄災がふりかかる。
無計画な増築に謎の柱、湿気った床下に腐った壁。
伊豆山の土砂崩れという前代未聞の惨事。
コロナ渦と戦争における資材高騰、物流や生産の遅れ。
さまざまなことが重なりすぎて、いよいよ不安に押しつぶされそうだった。
リフォームは亀の足取りほどのんびりと進んでいった。
ほんの束の間の仮住まいだからと荷ほどきはせず、積まれた段ボールにまみれて暮らしていた我々は、目に見えて荒んでいった。些細なことでキレることも多くなった。テレビを眺め、ただじっと1日が過ぎるのを待っていた。
衣食住。お決まりのワンフレーズだが、かつてこれほど住について考えたことはあっただろうか。そもそも学校教育でもすっぽり抜け落ちている分野じゃないだろうか。
突然リフォームと言われたって、素人にはどこから手をつけてよいかも検討がつかない。
吐きそうになるほどカタログとその手の本を読み漁ったが、正解がわからない。
「すごい家にしてやるぞ」と鼻息荒く挑んだリフォームは、だんだんと「なるようにしかならない」と捨て鉢の様相を呈してきた。圧倒的に「住」のセンスと才能が足りていないのだ。
「今週でリフォーム第一弾、終われそうですよ」と設計士に言われたときは、長く暗いトンネルから抜け出るような希望の光とはこういうことか!と身体の奥から感じた。
2023年正月明け。晴れて猫たちとともに移動日を迎えた。毎度夜逃げスタイルの慌ただしい引越しなので案の定、腰痛が再発している。しばらくは海を眺めながら心穏やかに過ごしたいものだ。
熱海に移住して心機一転。久々にブログを書いている。
小さい頃、児童文学の『クレヨン王国』シリーズが大好きで、作家の福永令三さんに手紙を書いたことがある。「どうやったらこんな物語を書けますか? 私も作家になりたい」と、思いの丈をしたためた。
すると、まさかの返信が。
「書いて、書いて、書きまくりなさい」と、青いインクの万年筆でにょろにょろと書かれていた。差し出しは熱海からだった。クレヨン王国は熱海にあるんだなぁと、思った。
熱海の想い出といえばそれくらいなんだが、強烈な記憶で、まさかここに住むことになるとは、一ミリも想像できなかった。
海と空の色は刻々と変化し、庭では花が咲き巡り、新芽がぐんぐん伸びる柿の木には小鳥がやってきては大騒ぎしている。
まさにここはクレヨン王国なんだと、いま実感しているところだ。