コロナの余波で大きく変わった食卓の情景。飲食店の営業もいまだ本調子とはいかず、漁業者も獲れた魚が売れない悪循環が続いている。
魚の需要が激減するなか、東京魚市場買参協同組合がはじめたのが魚の無料配付という大胆なキャンペーンだ。組合の加盟店のひとつ、北辰では本マグロを買えば鯛が無料というニュースを見て、すぐにカレンダーに赤丸印をつけた。(ちなみに、配布魚介類は月ごとに替わり、6月にマダイとハマチ、7月にホタテとメバチマグロ、8月にカンパチとキハダマグロを予定しているそうだ。)
ところが印をつけた当日は朝から雨。ただの雨というより、舌打ちするほどの豪雨である。カメハメハ大王のご子息ばりに雨の外出は苦手な自分にとって、これは致命的。予定が完全に狂った。
しかたなく掃除をしたり仕込みをしたりと雑務をこなしているうちに・・・・・・どこの神の気まぐれか、午後一で晴れ間が見え始めた。短パンに履き替え、水たまりを跳び越え、ダッタン人の矢のごとく北辰までダッシュし、無事に本マグロと鯛を奪取。食い物のこととなると走れるものだなぁ、と自分に感心しながらも、雨上がりの蒸し暑さで帰宅した途端に布団にぶっ倒れる無謀さではあった。
本マグロと鯛はさっそく柵に切りわけて、キッチンペーパーで厳重にくるみ、サランラップでさらにくるみ、蓋付きのステンレス製のバットに寝かせる。日に一度、キッチンペーパーを取り替えれば、魚の余計な水分が抜けて日持ちもよい。
翌日、待ちに待ったマグロの時間。柵の厚みがある方を奥におき、左側から刃渡りの全体を意識しながら丁寧に切る。ひらづくりは筋と包丁の刃がアルファベットのXの文字を描くよう、つまりクロスするような角度で切ると、筋が気にならないと習った。が、ほぼ筋がないほど刃がさらりとはいっていく。
滅多にお目にかかれない本マグロのせいか、扱いが必要以上に丁重になりすぎるが、あんまりもたもたしてられない。
自分用に三切れ、家人用に五切れを別盛りにした。これで争いごとにはなるまい。柔らかい肉のようなマグロにはしゃぐ大人たち。昔は赤身が苦手だったが、人生の折り返し地点にきて、人生の半分を損したような気分になりやや複雑でもある。
脂が強くないうえ柔らかい肉質だったので、漬けマグロは翌日に仕込むことにした。おそらく、数時間で十分だろう。
『寿司職人の魚仕事』によれば、漬けには二通りのやり方がある。ひとつは柵のまま漬ける江戸前のやり方、もうひとつは切り身で漬けるやり方で、こちらは冷蔵保存の技術が進んでから生まれた新しい手法だそう。
せっかく柵で買ったのだから、今回は江戸前で漬けたい。