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時速1kmの思考

クリガニとボレロ

クリガニ, 栗蟹
クリガニの甲羅焼き

伊豆山の魚屋・魚久でクリガニを手に入れた。一杯350円。自分の手のひらよりも小ぶりだが、しっかり生きている。連れ帰ってすぐに店でもらった海水に放ち、蒲鉾を与えた。最後の晩餐になるだろう。カニ初見の黒猫を傍らに存分に観察したのち、海水をしっかり浸した新聞紙をかぶせて冷蔵庫で休んでもらう。

翌日、蒲鉾はなくなっていた。こうなると愛着がわいてくるところだが・・・・・・。「カニは生きているうちに茹でろ」というお告げにしたがい、泣く泣く熱湯に放り込む。

クリガニ, 栗蟹クリガニ, 栗蟹
クリガニ最後の晩餐は小田原の蒲鉾

今回は2リットルの沸騰した湯(1%の塩)でカニの甲羅を下にして1分ゆで、殻が真っ赤になったら一度引き揚げ急冷し、甲羅をしっかりこすり洗いして、次に1リットルの湯(1.5%の塩)で茹でた。カニを加えて沸騰させたら弱火におとし、ゆらゆらと8分茹で、最後にひっくり返して1分。

カニは身の危険を察知すると自分の脚を切り離して逃げる、「自切」という習性がある。このクリガニもご多分に漏れず脚を切り落とした。湯がく前に外にだして自由に遊ばせておいたのを悔いた。

クリガニ, 栗蟹クリガニ, 栗蟹
タワシで身体を清めているうちに遊びだした

とにかく今回のクリガニは小さい。爪の先など猫のそれと同じくらいだから、針の先に糸を通すほど、身を取り出すのが難儀だ。真っ二つに割って味噌汁に入れてしまえば話は早かったのだが、カニをさほど好きでもない家人に出しても手をだすまい。なんとか食わせるにはやはり殻をむかねばならない。
これは役務なのだ。

そういえば以前SNSで、ピアニストの友人が「商店街のイベントで、ピアノ弾いてます」と投稿していた。なぜかブリの解体ショウにあわせてピアノを奏でており、動画からはただ者ではないシュールさがだだ漏れていた。いまやミュージシャンとして第一線で活躍している彼も、人の良さうえ断れなかったんだろうと推測している。

そうだ。カニを解体するときにも音楽をかければいいんじゃないか。そう思い立ち、「カニ解体ショーの音楽をかけて」と呼びかけた。ごそごそと家人がiPhoneをいじり、流れてきたのがボレロだった。

ラヴェル作曲のこの有名すぎる音楽は、単調が売りである。フルートの音色からはじまり、以降同じリズムと旋律が繰り返される。この単調さが、地味なカニの解体にかなりマッチしていた。苦しい役務が、ボレロによって中和されていき、心が凪いでいく。
もくもくと作業がすすむ。そしてボレロはだんだんとさまざまな楽器が加わり、その音色はクライマックスに向けてがぜん盛り上がりをみせてくる。

しかし、カニの解体はまったく盛り上がらない。結局、ボレロが終わった数十分後に役務完了。
苦役の末にでた身は少ないが、甲羅に詰めるとそれなりの見栄えだ。濃厚なカニミソと味噌、日本酒を加えて練り、身を詰めた甲羅にかけてグリルで焼いた。

クリガニ, 栗蟹クリガニ, 栗蟹
ボレロにのって殻をむく

味噌の焦げた香りが部屋中に広がり、いてもたってもいられない。広島の友人にもらった日本酒、賀茂鶴を注げば万全だ。

クリガニ, 栗蟹
かにさん かにさん くりかにさん。けがにになれない くりかにさん

「かにさん かにさん」では「ケガニになれないクリカニさん~♪」と歌われている。クリガニを庶民にたとえ、毛蟹にはなれないけれど人生頑張っていこうという、やや演歌調の渋い童謡だ。
たしかに毛蟹と比べれば、身は少ないし、小さいし、食べるのも面倒だ。毛蟹の代用ってわけにはいかないだろう。けれどクリガニだって蟹味噌は濃厚で乙な味わいだ。
ほじくるのに1時間かかって、食べるの3分という刹那的食いもんだったが、多幸感をもたらしてくれる肴だった。

クリガニ,
黒猫とクリガニ