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時速1kmの思考

祖母とマグロ

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見渡す限り茶色い畑。刈り取られた稲の合間を群れのカラスがついばんでいる。ゴッホの描いた麦畑に似ているような気もするが、ここは千葉の君津だ。代わり映えしない景色が流れていくうちに現れたのは、丘の上にそびえる場違いなほど巨大な建物だった。

「あれがホーム?」
「そう」

祖母は数年前に介護施設に入った。彼女と会うのは、5年ぶりくらいだろうか。数日前に転んで顔面を打ちつけて以来、体調が思わしくないという。まだ多少話せるうちに会ってやってほしいと父に頼まれたのだ。

施設に入ると天井に届くほど豪華なクリスマスツリーが迎えてくれた。想像よりも明るく、暖かい場所で全身が緩んだものの、その周りでふわふわと漂う老人たちを見て、現実に引き戻された。

「あっ、いたよお婆ちゃん」

父が指さすが、そこは定期検診の順番を待つ老人でひきめし合っていたから、私はどれが祖母なのかわからず、焦りながら視界の端から端までをさぐった。まるでウォーリーを探している気分だ。
車いすにのったひときわ小柄な女性は、頬骨のあたりに滲む青い痣が見るからに痛そうだ。思わず目を背けたくなった瞬間、それが祖母だとわかった。彼女は昔から色白だだったから、青い痣がひどく目立ってしまう。

祖母は96歳。認知症に加え胃癌も患っている。医師によれば、認知症は進み、体力は衰え、状態はよくない。容態がもし悪化した場合、どういった対処を親族が望むのか。父は決断を迫られていた。

医師との面談が終わり、ようやく祖母との面会となった。父のことも、私のことも認識せず、「初めまして」と挨拶する。私たちが息子と孫だと名乗ると、一瞬記憶がよみがえるのか、「親なのに何もしてあげられなくて」「覚えてられなくて」など後悔ばかりを口にするもののすぐに記憶が混乱してしまうようで、話はまた「初めまして」から始まる。入れ歯が合っていないのか、口元がおぼつかない。

「最近はご飯を食べるのを嫌がるんですよ。今朝は少し食べてくれたんですけど、食べる前は半泣きの状態で……あまり無理強いするのもあれなんでやめておきました。それからすべて刻み食に変えました」

祖母の状態がよくないと連絡をくれた介護士は、祖母の最近の様子を教えてくれた。ハキハキとした物言いの、やたら腰の低い女性だった。
「ときどき『もう食べた』なんておっしゃるんですよね……今は点滴をしながら寝ているのがいちばん楽みたいです。そうしてると、たくさんお喋りもしてくれるんですよ」

お喋り好きなのは昔から変わらない。いまはお喋りの内容がとりとめないだけだ。でもご飯を食べたがらないというのは問題だ。祖母はマグロ、鰻、牛肉なんかが好物で、行きつけの店にもこだわる頑固な一面もあった。マグロは大トロが最上で、ぶ厚い切り身を好み、鰻はかならずお重、すき焼きには生卵を欠かさない。それなのにいまは食べることを拒んでいるという。頑固さも変わりないのかもしれない。

祖母をどうしたらいいか。帰りの車中でも父は悩んでいたが、選択肢はあまりないように思われた。きつい言い方だったかもしれないが、動物だったら食べることを止めたらそれは死に直結することだと答えた。

もしかしたら、
胃癌が進んでいて、その痛みから食べないのかもしれない。
入れ歯が合わないから食べたくないのかもしれない。
補助なしでは食べられないから食べたくないのかもしれない。
食事が口に合わないから食べないのかもしれない。
それはわからない。
食べないことを積極的に選択しているのかもしれない。
それすらわからない。
すべてが想像でしかないが、最期に家族と晩餐をとりたいかもしれない。
私ならこれを選ぶ。

帰り道、少し足を延ばして味楽囲という農産物の直売所へ立ち寄った。ぴんぴんに尖ったレタス、大きく育った丸ごと白菜、泥付き牛蒡、立派な葉つき大根、色とりどりのカブなんかを片っ端からカゴにいれていくうちに、不思議と活力が戻ってきた。山ほどの野菜を後部座席に積み終わる頃には、すっかり満ち足りた気分になっていた。
さて、東京に戻ろうと父が車を走らせたが、ほどなく「まぐろ」と描かれた大看板に吸い寄せられて停車する。清幸丸水産というマグロ専門の業者だった。すでに空は茜色に染まりはじめていたから品揃えがすばらしいとは言えなかったけど、ネギトロが美味しそうだったので、父の分もあわせて500円のパックを2つ購入し、高速に乗った。

帰宅して夕飯の支度。白葱を刻んで冷水にさらして水気を切る。まな板にネギトロをおき、白葱を加えて叩いてよく混ぜ合わせる。彩りに小ネギ、海苔、ワサビを添えて一品目が完成。いつもはもち麦飯だが、ネギトロのために白米を炊いた。

ネギトロは脂がのっていて、ねっとり滑らかで、これ以上ないほど白米と相性がよく、思わず箸でリズムを取りたくなってしまう。
それでも祖母ならやっぱり、マグロの切り身を買っただろうか? でもいまならこの刻んだネギトロのほうが食べやすいかもしれない。これなら食べられるかもしれない。いや、食べてくれるだろうか。