祖母が亡くなった。享年97歳。晩年は人里離れた施設で暮らしていた。年末には息子の顔さえ覚えていなかったが、「孫だよ」と改めて自己紹介すると、彼女は私の手を握り、「冷たいねー」とおどけて笑った。
いつその日がきてもおかしくないと言われていたものの、やはり報せというものは唐突だったし、誰もその準備はできていなかった。最期は頑なに食べることを拒んでいたそうだ。
乾燥した晴れ日が続いていたにもかかわらず、葬儀当日は土砂降りだった。
「涙雨だね」と誰かが呟く。そーか、これが涙雨というものなのかと、レインコートにかかった水滴を振り払う。
ただ粛々とやるべきことをやり、火葬場で別れを惜しみ、遺灰を寺に収める。住み慣れた家に寄ってあげられなかったことが心残りだが、質素ながらもなんとか祖母を送り出せたことには、それなりに満足している。
翌朝、いつも通りコーヒーを淹れ、珍しく甘いものが食べたくなったので、紋別の知り合いからいただいた菓子折を開けることにした。
「紋別夜景」というお菓子で、チュイールにホワイトチョコレートが挟まった焼き菓子だった。
ひとくち食べて、懐かしさがこみあげてきた。
私が小さいころ、夕方近くなると祖母は自転車をついて買い出しにでかけていた。そこは「若宮ショッピングセンター」というその地域唯一の商店だったように記憶している。細い通路をくぐり抜けると小さな中庭があって、その中庭を囲むように生鮮スーパーのほか花屋、洋品店、床屋、八百屋、オモチャ屋など独立した店舗が軒を連ねていた。思い返せば、まるで中東のパティオのような造りだ。
その一角にあるパン屋で祖母に買ってもらったのが、アーモンドがびっしり貼りついたクッキーだった。それがチュイールというフランス菓子だと知るのは後のことになるが、緩いカーブを描いた極薄で繊細なチュイールとは違い、それは厚みのある平たいものだった。田舎風チュイールとでも呼べばいいだろうか。
衝撃のうまさに、私はその日のうちに全部食べてしまった。翌日、若宮ショッピングセンターへ出かけて、またおねだりすることになる。今度はもう少し大事に食べることにした。
「おばあちゃん、これ、パパとママにも持って帰りたい」
そうしてその次の日も同じものを買ってもらい、意気揚々とチュイールの山を携え東京へ凱旋。後にも先にも、チュイールをあんなに食べたことはない。
「紋別夜景」は、あのチュイールにとても似ている。素朴でぶ厚く、バリッとした食感で、しっかり甘く、アーモンドが香ばしい。一枚食べると、もう一枚食べたくなるところも似ている。
一枚の菓子からずいぶんとタイムスリップしてしまったが、食の原体験というのは想像以上に頭にこびりついているものなのだと、タイプしながら思った。
葬儀の準備をしている時、祖母の遺書の下書きがみつかった。何も残してあげられなくてごめんなさいと、〆てあった。
少なくとも私にはチュイールという画期的な菓子が記憶に残っている。
紋別を訪れた際は、ぜひ食べてみてほしいお菓子だ。