十数年前に恵比寿で働いていたころ、チャメというスンドゥブ専門店によく通っていた。記憶をたぐり寄せると、エッジの効いた辛さで具だくさん。ぐつぐつ真っ赤に煮えたぎっているが、スプーンを入れると透明感があり、さらりとすっきりしたスープだった。甘ったるくないのが最大のポイントで、最後まで飽きずに食べられる。
ところで、チゲは必ず、トゥッペギという直火OKな器で供されるが、自分は「峠の釜めし」の土鍋で代用、というか愛用している。満水で600cc、直径約11cm、深さ8cm。おなじみ益子焼の土鍋だ。トゥッペギだと2号サイズに相当するだろう。1人分のチゲにはまことに都合がよい器なのだ。
韓国の宮廷料理における最後の伝承者にして人間国宝、黄慧性(ファン・ヘソン、1920~2006)女史に、文化人類学者の石毛直道が対談する形で書かれた『韓国の食』によると、チゲの器というものはなかなか奥深いものだった。
チゲの器、トゥッペギ
よく見かけるのは黒い陶器だが、女史の時代は素焼きの鍋に釉がちょっとかかったこげ茶色をしたものだったという。「みっともない器」という意味のあるトゥッペギだが、みっともないけれど味はいい。だから「王様のお膳でもみそ煮だけはトゥッペギをつかって、銀の器はつかいません。」という。毒殺されるリスクを背負ってでも旨い物を食うのだという鋼のメンタルがなければ王など務まらないのかもしれない。
ひるがえって峠の釜めしも、昭和33年に昭和天皇に献上して以来、長く皇室の面々を楽しませてきたという。ちなみに昭和天皇が召し上がった釜は人間国宝・濱田 庄司がつくったもので、素朴な焦げ茶の地に黒と白の釉薬がランダムに散らされているたいへんモダンなものだ。それにしても土鍋には、貴賎の別なく人を引きつける魔力があるのだな、と思う。
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チゲは塩味か、味噌味か
黄慧性女史によれば、チゲの味付けには2種類あるという。
チョチにも二種類あって、一つはアミの塩辛か塩で味付けする方法、もう一つはトウガラシみそとかみそで味つけする方法です。
チョチというのはチゲのことで、宮廷用語だ。チゲと発音したときの口の形がみっともないといい理由でそう呼ばれていたらしいが、品良くあるための隠語というのもまた改めて掘り下げてみたい。
コチュジャンをいれなくてもチゲなのだという事実は、これまで疑問だったチゲに味噌を入れるか否かに、答えを出してくれたような気がする。
冒頭で話したチャメのスンドゥブは、どちらかといえば塩ベースだった気がする。夏に食べても重たくなく、トウガラシの爽快な辛味だった。ひるがえって冬に食べるチゲは俄然、味噌味がいい。身体があたたまるし、味噌の濃厚な甘さは冬の海鮮を引き立たせてくれる。
結局は、そのとき、その季節に食べたい味付けが正解だということだろう。猛暑は、味噌なしでトウガラシ多めのチゲの気分だ。
峠のスンドゥブチゲ
本来であれば釜だけで調理したかったが、峠の釜めしの販売元・荻野屋は炊飯以外の直火調理を推奨していないので(オーブンは可)、やむなく炒める工程はフライパンを使っている。