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時速1kmの思考

抜かりなく手を抜いた、猛暑の冷奴飯

冷や奴飯

梅雨が終わって晴れ晴れしたのも束の間。次は暑くてどうにかなりそうだ。洗濯物を干していると太陽による強火の遠火にさらされ、顔がピリピリ傷む。四十路の肌は悲鳴をあげている。マッハで干し終えて、クーラーの効いた部屋でひと息つく。

今日は家人が出社したので、昼食をつくらなくていい。正直、ほっとしている自分がいる。
一回の食事にまつわるエトセトラがなくなるだけで、浮いた時間は自分のために使える。ひとまずは腹ごしらえをして、有意義な午後をスタートダッシュしたい。

どうせなら抜かりなく手を抜きたい。となると、時間・労力ともに省エネなのは間違いなくカップ麺だろう。だが手を伸ばしかけたところで、中途半端に残っている豆腐を思い出してしまった。1人ではちょっと多く、2人では足りない分量だから、さっさと処理してしまったほうが得策だ。

冷や飯を温めている間に、豆腐を盛る皿を取り出したものの、洗い物が増えると思い直し、飯茶碗にそのまま豆腐を座らせた。白飯に白い豆腐。やや味気ない風景なので、渋々まな板を取り出してネギを刻む。

出汁醤油をかけて豆腐の角を崩しながら、飯と交互に食べる。
これはうまい。
冷たい豆腐の喉ごしと水分が手伝って、白飯が驚くほど爽やかな粒となり、口の中で混ざっていく。汗もすっと引き、萎んでいた胃もぐるぐると活動しはじめた。



豆腐といえば、江戸時代(1782年)に発行された『豆腐百珍』を思い出す。この豆腐料理の専門書では100種類ものレシピが紹介されており、「尋常品」「通品」「佳品」「奇品」「妙品」「絶品」という6つのカテゴリに分かれている。冷や奴は「通品」に分類されているが、いまのところ自分のなかではこの冷奴飯は「絶品」であり、101品目に加えてほしいくらいである。

前のめりで食べていたら、あっという間に豆腐が先になくなってしまった。不覚にも飯と豆腐の配分を完全に見誤ったようだ。
仕方なく、もう一丁あった新品の豆腐に手を出すことになった。1/9ほどに切って、残った飯にのせる。次は豆腐と飯をぐちゃぐちゃにかき混ぜて出汁醤油をかける。猫マンマのようで、他人様に見せられたものではないが、茶碗に口をつけてがさがさとかき込む。うまいうまい。はじめから混ぜていれば飯と豆腐の配分を間違えることもなかったなと、また余らせてしまった豆腐に思いを馳せる。

茶碗を片づけて、有意義な午後の始まりだ。ひとまず本とiPhoneを携えて、ベッドに転がる。