イワシには「清貧」という言葉がついてまわるようである。
清貧とはそもそもはカトリックの教えからきているようで、私利を求めず、行いが正しいがためにその生活が貧しいことをいう。
ドラマ「ボルジア家」では、教皇アレクサンドル6世がイワシを食べることで自らの清貧さを他者に示そうとする場面があった。ご存知のとおり、この教皇は好色、強欲、残虐非道の三拍子がそろった、カトリック史でも黒歴史のような人物なので、そのイワシを食べる行為もただのフェイクとして描かれている。
こと日本でも、価格の安さからイワシは清貧の象徴のように描かれる。焼いたイワシに飯、汁碗がちゃぶ台に並ぶ光景。いかにも「清貧」である。元東芝社長の土光敏夫は、その質素な生活ぶりから「メザシの土光さん」なんて呼ばれている。
今日のスーパーではその清貧が並んでいた。といっても、新鮮なものを東京で見つけるのはけっこうむずかしい。
ところどころに残る鱗が光って、清貧とは美しいものだなと思った。頭を落とすのも忍びないからそのまま焼こう。付け合わせはロスティだ。
辛口の白ワインで清貧に乾杯。およそ清貧とはかけ離れ、私利私欲はむき出し、地獄に落ちるほど美味かった。