「うちのおふくろの味ってなんだった?」
そう母にたずねたのは数年前。気づけば母もそろそろ70歳にとどこうとしている。60代半ばにサルコイドーシスという難病にかかかり、がくっと痩せて愚痴りがちだが、いまだ銀座へ出かけるとなると生気を取り戻す。どうやら入るサイズの洋服が増えたのが嬉しいらしい。
「なんやろう。わからん」
「茄子の油焼きとかは?」
「そんなん、人に言うたらあかん、恥ずかしい」
その羞恥心はいったいどこからくるのか…よくわからないが、それを「おふくろの味」とは言ってほしくはないらしい。「ケーキなんてどうやろ?」
たしかに狭い台所でケーキを焼いていた母の姿は覚えているが、私が求めているのはそういう類のものではない。自家製とはいえど、彼女が本気でつくるケーキは店レベルなのだ。
「たとえば白和えは?」
「まぁ、それならええけど。でも白和えご飯はあかんよ」
それビンゴ! まさにおふくろの味だ。
白和えご飯は、卑しい食べ物なのかもしれない。白和えをつくったあとのすり鉢に、炊きたてのご飯を混ぜてそのまま食べるのが白和えご飯の流儀。豆腐のカスがついた白飯は、見た目はかなりアレなんだが、うまい。しかも先着一名様という限定飯。ただし、家族以外の誰かに見られてはいけない。初めて近しい他人に白和えご飯を見せたとき、彼は少し遠くの人になってしまった。
とにかく白和えはよく食卓に出ていた。定番の具は、ほうれん草、ニンジン、蒟蒻だが、春にはワラビやタケノコ、秋には柿やキノコなど、そのとき家にある食材を入れるから、ほぼ年中食べることになる。
母が白和えをつくるとなると、もれなく私はすり鉢を押さえる役目を仰せつかる。目分量で大量の砂糖を入れていく。「白和えだけは甘なかったらうまくない」
「外で馬みたいに食べたらあかんよ」というのも母の口癖だ。店で出された小鉢にちょろりと盛られた白和えを初めてみたとき、その真意を知ることになった。
ときには“白和えもどき”に出合うこともある。醤油を入れすぎた褐色の白和えには、心底滅入る。口に入れれば入れるほど、くどく、厚かましく、腹立たしい。
白和えとは、味のついた豆腐を食べる料理ではなく、味のついた野菜を豆腐のソースで和ませて食べるものだと私は思う。そういう意味では、ソースの味で食べさせる他のジャンルの料理とまったく逆をいっているから、和食は面白い。
「ところで、母さんのおふくろの味ってなによ? つまり婆ちゃんの飯ってことだけど」
「そーねぇ。松茸かな。その辺に生えてたし」
なんだその誰も共感してくれないおふくろの味は。山育ち、恐るべしである。とはいえ、だれも人様のおふくろの味なんて理解しないし、できるはずもないし、理解してもらおうなどとみじんも思ってもならない。おふくろの味とは胃袋に押された烙印のようなもので、そういう意味では究極の孤独のグルメなのかもしれない。
白和えご飯
材料
ほうれん草 | 2〜3株 | 下ゆでして冷水にとり、しっかり絞る。3〜4cmに切る |
ニンジン | 1/4本 | 3〜4cmに細切り |
蒟蒻 | 50g〜適量 | 塩もみして下ゆでし、3〜4cmに細切り |
乾燥イチジク | 1/2〜1個 | 細切り |
調味料 | 野菜の下煮用 | |
水 | 100cc | |
出汁醤油 | 小さじ2 | |
塩 | 少々 | |
あえ衣 | ||
豆腐 | 1/2丁(150g) | キッチンペーパーなどでくるみ、上から重しをして水分をよく切る |
胡麻 | 小さじ1 | |
砂糖 | 小さじ1/2〜1 | イチジクや柿など甘い食材を入れる場合は調整する |
白醤油(もしくは薄口醤油) | 小さじ1 | |
塩 | ひとつまみ |
具に関しては、季節の野菜を積極的に使う。分量のことはあんまり意識する必要はない。好きな食材は好きなだけいれる。うちは蒟蒻がかなり多めだ。
つくりかた
① 具に下味を付ける
小鍋で調味料を沸かして、蒟蒻を煮る。その後ニンジンも一緒に煮て、火が通ったらそのまま冷ます。冷ましている間に味が染み込む。全体の粗熱がとれたら、ほうれん草も浸しておく。味見したときに、塩っ気はあるが、野菜の味がする程度がいい。
④ 白和え飯をつくる
白和えを皿に盛り、あえ衣が張り付いたすり鉢に熱々のご飯を入れて混ぜ、食べる。