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時速1kmの思考

小掃除と中掃除

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あまりの猛暑に七月は息をするのも億劫だったが、八月も半ばになると「東京○日間連続雨」「世界中で異常気象」というテロップを目にする毎日。暑けりゃ暑いで文句をいうくせに、夏らしさがなけりゃないでどこか物足りないというのも勝手なもんである。まあ騒いでも仕方ないので、今年の夏はこんなもんだと受け入れて、やれることをやればいいんだろう。蒸し暑いが少しは体が動くようになったので、八月はいそいそと小掃除に励む毎日だった。

小掃除とは、沢村貞子の『わたしの台所』から拝借した言葉で、「汚れていて気持ちが悪いと思ったとき、いつでもチョイチョイする掃除のこと」である。
沢村氏は昭和を代表する名女優の一人だが、随筆家としても活躍。柔らかで流れるような語り口だが、さすが浅草生まれの浅草育ち。ところどころに凜とした気性の強さもうかがえる。本書は彼女の日々の暮らしと食を綴ったエッセイだ。

ホコリで死んだためしはない〈中略〉普通の家庭でホコリのために病気になることはないだろうから、あんまり神経質になるのはおかしい。生きている人間が暮らしているのだから、家は汚れるのが当たり前。隅々のホコリまで気にしていたら、ほかのことは何も出来なくなってしまう。病的な掃除マニアにはなりたくない

賛同だ。我が家はベランダとバルコニーが二面に配置されているのと、長毛とも短毛ともいえない、あえて言えば中毛種が一匹いるため、床板はホコリと毛ですぐにざらつく。この暑さで窓を閉め切っておくわけにもいかず、猫に毛を落とすなというのも無理な話。そこにそもそもの大雑把な性格ものっかって、すっかりそれが日常の環境になっていた。もちろん掃除機くらいはかけている。Makita製を愛用しているが、これは小掃除にはもってこいの商品である。いつも充電しながら壁にたてかけてあるので、気になったらすぐに出動できる気軽さが、掃除嫌いの私を変えた。やはり道具は大切である。床板であれば吸引力も必要十分だが、紙パックの収納力が物足りないといったらやはり欲深いだろうか。

さて、大いに気をよくして先を読み進めていくと

けれど——毎日暮らしている場所だから、なるべくこぎれいにしておきたい

脳天にぶち刺さった。思わず何度も読み返し、口に出して読んでみると、さらに身に染みた。
沢村氏は「日に限らず、自分の都合にあわせて中掃除、小掃除をしている」という。掃除も自分の都合というのが気負ってなくていい。中掃除は「二、三日休みがつづくときを見計らって計画をたててする」。この小掃除と中掃除をしていれば、大掃除など必要ない。

さっそく掃除をはじめた。
床を磨き、ベランダを掃き、出番の少ない皿をしまって冷蔵庫を拭き、着古した服や後生大事にとっておいた使用未定のモノは捨てた。ついでにしまっていた砥石を流しの隅においておくことにした。包丁の小掃除化だ。包丁を洗うときに研いでしまえば、月に一度、汗だくですべての包丁を研ぐ必要もなくなるし、熟したトマトが切れないといったストレスもなくなる。

特にバルコニーに面した棚にへばりついたホコリは酷いもので、下段に収納していた出番の少ないフードプロセッサーは哀れな姿に変わり果てていた。
ここに置いておくかぎり、ホコリからは逃れることはできない。ただ置き場所はここしかない。でもいざ使うというときに洗ってから使うのは億劫だ。そこで台所の機械類にはカバーをつけることにした。ビニール袋でもよかったんだが見た目に貧しいので、使い古したIKEAの布巾を使うことにした。これも貧しいことに変わりはないが…。
掃除以上に裁縫は絶望的な手前なので小学生並の作品だが、誰にでもできる、機能は果たすという点では優秀だ。

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長方形の布巾を広げ、短い辺を折りたたみ、端を縫う。

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ついでにミルサーのカバーも縫った。

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長方形の布巾を広げ、長い辺を折りたたみ、端を縫う。

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ひとつずつ生活や持ち物を見直してみるのもなかなか面白いものである。なぜこれをもっているのか、なぜこれをここに置いているのか。すべてのモノに存在意義をもたせて認識してやることが掃除なのかもしれない。