ポーチドエッグがあれば、
人生バラ色
グアムの「キッチン リンゴ」で食べたケールのサラダには衝撃を受けた。地元でとれた新鮮なケールは、噛むほどに栄養がしみわたる滋味にあふれていた。
ケールの山頂には「5ミニッツ・エッグ」が鎮座している。いわゆる「ポーチドエッグ」だ。ほのかに温かい。白身にナイフをいれ、黄身がこぼれ落ちてチーズとケールに絡みついたとき、興奮は最高潮に達する。あぁ、人生バラ色ってこのことだ。
だがこのポーチドエッグ、なかなか厄介な料理である。
個人的には、一番歩合の悪い勝負をしている気分になる。もちろん、酢もいれたし、塩もいれた。にもかかわらず、卵を湯にいれたとたんに白身が飛散してしまう。慌ててスプーンでいじくり回すのだが、悲惨な白い物体が浮き上がる。
鍋の湯を箸でぐるぐると回し、渦の中心に玉子を流し込むという調理法も試してみたが、卵によってはそれもうまくいかなかった。
とにかく失敗の確率が高いのがポーチドエッグ。だったら、同じような食感の「温泉卵」でいいではないか、ということになる。
だが、それはまちがっていた。料理によっては、適切ではないのだ。
ポーチドエッグと温泉卵は
似て非なるものである
共通しているのは、ポーチドエッグも温泉卵も、卵白と卵黄のタンパク質が変性する温度の違いを利用して調理している(卵白は62〜65℃、卵黄は65〜70℃で凝固)点だ。だがよく見ると、
ポーチドエッグ=固めの白身×とろとろの黄身。
温泉卵=とろとろ白身×固めの黄身。
ゆえに、ポーチドエッグは平たい皿で、温泉玉子は小鉢に入れてスプーンですくって食べる。
二つは似て非なる料理だったわけだ。サラダのように、平皿で付け合わせとして食べるなら、ポーチドエッグが向いている。温泉卵では野菜などに絡みづらく、葉物はべちゃべちゃになり、皿に口をつけて食べない限り、最後は皿の上に白身が散乱したままゴミ箱にいくことになる。
そして二つの違いを明確にしているのは、白身のかたまり具合にある。これには卵白に含まれるタンパク質が関係しているそうだ。そこで卵白に含まれるタンパク質を簡単にグラフにしてみる。
54%を占める主要タンパク質であるオボアルブミン(卵白アルブミン)は80℃で凝固し、その12%を占めるオボトランスフェリンは62℃で凝固する。だから、
卵を十分に長い時間80℃に保つと、卵白は固くなる。しかしこれ未満の温度では、卵白アルブミンは丸まったままなので、卵白の大部分が「液体」の状態になるというわけだ。『Cooking for Geek』より
さて、原理はよくわかったが、問題は、その環境をどのようにつくりだすか、ということだ。
なぜポーチドエッグが
失敗してしまうのか?
さて、ここでマギー先生のポーチドエッグのつくりかたを参照しよう。これまで失敗し続けた原因が、明らかになってきた。
卵白がまとまらない問題
これには次の二点を注意すればいいとのことだ。
- 新鮮な卵を使う。
- 水溶性卵白を取り除く。
新鮮な卵を使う
新鮮な卵は、割ったときに白身が広がらず、黄身がこんもりとしている。アメリカでは、白身の広がり具合によって等級分けまでされているというが、日本ではS、M、Lといった大きさでしか分けられていない。
卵を水にいれて、沈めば新鮮、浮けば古いとかいう説もあるが、卵を買うときにそれをするのも難しい。
とにかく、買ってきた卵はすぐに冷蔵庫へ入れること。さらには振動を与えると卵白が薄くなるので、冷蔵庫の扉の部分などに卵を冷蔵してはいけない。
水溶性卵白を取り除く
目から鱗だった。どうやらこれまで使っていた塩とか酢は効果が薄いという。
湯に塩や酢を加えれば早く凝固するが、同時に卵の表面に切れ端のようなものや不規則な膜が生じる。少し変わっているようだが、調理前に水溶卵白を取り除いてしまえば、きれいな形のポーチド・エッグになる。容器に卵を割り入れ、これを大きめの穴あきスプーンに移して数秒間おき、水溶卵白を流し落としてから鍋に入れる。(『マギーキッチンサイエンス』)
網から落ちた水溶性卵白を触ってみると、網の上にのった卵白よりも腰がなく、さらさらしているのがわかる。
80℃で調理する
大さじ1の塩をいれた湯を1L用意する。卵をいれて温度が下がることを加味して、82〜3℃に調整した。これはもはや、測るのが手っ取り早い。
卵を静かに落として、鍋に蓋をして5分待つ。これは卵の大きさにもよるので、適宜調整してほしい。そして出来上がったのが、こちら。ちなみに、調理中はまったく触っていない。ただ「卵を落としただけ」だ。キッチン リンゴのような球形には遠いが、ほぼ完璧な仕上がりではないだとおもう。
同書では、1Lの湯に対して、酢8g、塩15gを使うレシピも紹介されている。今回わかったのは、酢を使わなくても固まるが、塩をいれないと見事に白身が飛散してしまうことだ。とはいえ、塩を入れることでほどよい塩気が卵にまとわり、こちらはいれたほうが美味い。
丸元淑生いわく、
卵はポーチドエッグで食べよ!
さて、いま手元にあるのは、『丸元淑生のシステム料理学』だ。これを読むと、ポーチドエッグがいかに優れた料理であるかがよくわかる。
氏いわく、玉子に含まれる豊富なビタミンを壊さないためには、最小限の過熱をすること。そして、卵白に含まれるタンパク質の一つであるアビジンは、ビオチンというビタミンを不活性化してしまうので、アビジンだけを壊して、他の栄養素を守ることが重要だという。
幸いなことに、アビジンは約80℃で壊れてしまう。つまり、80℃で調理するポーチドエッグは、卵の栄養素をあますことなく食すことのできる、理想の調理法だなのだ。
ただひとつ言えることは、ポーチドエッグだろうが温泉卵だろうが、食べたときに幸せな気分になれる卵は、偉大な食べ物であるということだ。
参考書籍
Cooking for Geeks
食と科学に目覚めさせてくれた一冊。食のプロではない、いわば素人の食オタクたちが、科学とその技法を駆使して、試行錯誤しながら料理する姿に心を打たれる(もちろんプロの料理人も登場するが)。また同書を出版するオライリーの創業者ティム・オライリー氏も、自らスコーンを紹介している。やはり、食は人生を豊かにしてくれるのだ。
丸元淑生のシステム料理学
いかに効率的に栄養を身体に取り込み、家庭料理を豊かなものにするのかに主眼をおいた本だ。レシピなどはとてもシンプルながら、丁寧かつ著者のこだわりを感じる。1982年初版というから、当時は調理という行為に革命を起こした一冊なのではと思う。もちろん、いま読んでも遜色はない。
マギー キッチンサイエンス
食物と調理の化学の権威ハロルド・マギーによる食のバイブル。上製、850ページ超という恐るべき大著である。
6804円と一瞬その価格に怯んだが、その情報量たるや、薄っぺらい食の科学の本を何冊も買うよりもよっぽど費用対効果は高い。だが枕にするにはちと高すぎる。